音楽の話題

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「ウルトラマンジャズ 布川俊樹プロジェクト」を聴く。暖かく、甘い。ノスタルジックなアレンジだ。ウルトラマンといえば二つ思い出すことがある。ひとつはシカゴ大学の留学生寮にいたときにケーブルテレビで流れていた英語で吹き替えられたもの。かなり編集されていてつながり具合が妙だった。深夜で他には誰も見ていなかった。

もうひとつは那覇市のバスターミナルである。沖縄に来たとき、これはウルトラマンの世界だな、と感じた。雰囲気が同じなのだ。ウルトラマンの原風景は沖縄にある。あの独特の総コンクリの建物などである。ちなみに沖縄の近代建築はそのうちぜひ研究してみたいテーマである。あの雰囲気はどうやったらできるのだろう。(23:57 00/09/26)


『ウゴウゴ・ルーガのピチカート・ファイブ』を聞く。ピチカート・ファイブではよく使われるが、前座と真打というエンターテイメントの基本構造が明快で心地よい。(子どもやら女子高生やらが前座をやらされ、野宮真貴が真打である。)このアルバム中の「ボンジュール」はCroquisと基本的に同じコンセプトである。(フランス語の調教である。)やはり一度はやって見たくなるものなのだ。野宮真貴はジャケットと声が結びつかない。もっとも私は声から人の顔を当てることは得意ではないみたいだが。(23:40 00/08/09)


芸能山城組『少年達への地球賛歌』を聞く。大学でやっていたコーラスを思い出す。雑食性の混声合唱であり、ポップやら子どもの歌(「アイスクリームのうた」とか)やら、時には民謡やクラシックも少し歌っていた。だいたい自分が合唱の一員として歌っているときには、コーラス全体として自分達がどれだけ下手かというのはなかなか意識できない。いや、歌いながらも下手だということは分かっているが、後で録音を聞いたりして、ぞぞっとするのである。それでも歌うときの快感のために歌うのだから、まああまり気にしない。

最近山城組の噂はあまり聞かないがどうなっているのだろうか。ガムラン、ケチャやブルガリアン・ヴォイスもかつてのブームは見る影もない。(ブルガリアン・ヴォイスは、売れると踏んだ会社が類似品を大量に出したせいだろうか、異常にアルバムの数が多い。)
どなたかアフリカのコーラスでよいCDアルバムご存知ないだろうか。(21:26 00/05/25)


Tatianaの『Foto de Formatura (卒業写真)』を聞く。松任谷(荒井)由実の歌のポルトガル語バージョン。当時十七歳。松任谷の成熟した声とは違い、瑞々しい若さ、透明感が新鮮である。スペイン語はどこか大阪弁でも聞いているような感じがするが、ポルトガル語もけっこう日本的感性としっくりくるところがあるかもしれない。シラブルごとの母音がはっきりしており、フランス語のように複雑な母音や、ドイツ語のように極端な子音の連続がない。でも『リフレインが叫んでる』(Antigo Refrão) はちょっと違うかも、と思った。「僕たち」「私たち」はポルトガル語には訳しようがないのだろうけど。それにやはり十七歳では実感が伴なわない歌もある。 (21:14 00/05/09)


Charlotte Churchの "Voice of an Angel" を買う。シャーロット・チャーチは、やはりその年齢が印象に与える影響は大きい。(なぜ日本語版ではシャルロットと表記されているのだろうか?)世俗の汚れに塗れてないという印象である。もっともそれは大人の思い込みだろう。アルバムのタイトルからして俗ではないか。のどを使った発声では大人と同じような声に聞こえる。それ以外の発声では年相応の声なのだが。その取り合わせがまたいいのだろう。ウェールズ語の歌はちょっと期待しすぎた。カーディフ生まれだからウェールズ語が母語ではないだろう。意味はわからんが、どこかネイティブの歌とは違う気がする。とはいえ、非常に微妙なところだが "Pie Jesu" などラテン語の歌でも何かウェールズ的な響きがする。何だってそんなにウェールズの響きにこだわるかといえば、高校の二年間合唱隊で歌っていたとき、二人しかいないテナーのもうひとりがちゃきちゃきのウェールズ人だったからもある。しかし…ライナーノートを見てみればあれれ、"Pie Jesu" はウェールズ人っぽい名前の人が作曲している。じゃあこのウェールズの響きは相乗効果なのだろうか。(14:01 00/04/15)


現代のポップを百年前の日本人が聞いたらどういう反応を示すのだろう。と、ふとPizzicato Fiveのアルバム『プレイボーイ・プレイガール』を聞きながら思った。(ファッションでもそうだと思うが)流行はある種の刺激が飽きられ、次の刺激を求める繰り返しだ。その過程をいきなり飛び越すとどうなるのか。やっぱり分かる人には分かるのだろうか。横井氏は似たような経験をされたわけだろう。いや、百年前西洋文化に直接に接した日本人はすべてその「順当な過程」を経ずに異文化にさらされたわけだろう。
それはそうと、今はひたすら誰かに肩を揉んでもらいたい気持ちだ。(17:17 00/04/03)


Sting の"Demolition Man"を聴く。映画を思い出した。娯楽作品としてはなかなか面白かった。レストランがタコベルだけ!タコスは、シカゴ大のキャンパスで入手できる最も安い食べ物だった。たしか1$しなかった。食費を抑えるため、一時期はこればっかり食べていた。ダウンタウンに行ったときはキャンパスでは売っていない肉厚で柔らかいシェルのゴルディータを食べていた。タコベルはもちろん東京にも進出しているのだろうが、まだ見かけない。どうせ3倍くらいするのであろう。Sting の同じアルバムにずっと探していた"Shape of My Heart"があったので嬉しい。リュック・ベッソン監督『レオン』の最後に流れる曲だ。(21:44 00/03/14)


Dulce Pontesの Caminhosを聴く。ポルトガル語はスペイン語に近いはずだが意味はほとんど分からない。シカゴにいたころ、ベルギー人の友人の彼女がポルトガル人だった。私が知っている唯一のポルトガル人である。シカゴ大にはブラジル人学生はたくさんいた。ポルトガルは私が西ヨーロッパで唯一行ったことがない国だ。いまひとつイメージが湧かない国ではある。だが、意味が分からない言葉の歌を聴くのは愉しい。意味が少し分かる程度が想像力を掻き立てて一番愉しい。このアルバムでは Ferreiro (「鍛冶屋」)のリズムとメロディーが心地よい。(00/2/27 20:41)


シャーロット・チャーチを聞く。UWCの本を書いていて"hiraeth"という言葉が分からなくてWebで調べていると行き当たった。(Hiraethの意味はすぐに分かった。)ウェールズ出身だと知っていたらもっと早く関心を持っていたのだけど。AmazonではCDを買った人のコメントがずらりと並んでいる。褒めちぎる人とけなす人がいる。15歳のメゾソプラノ(自称)などが書き込んでいる。嫉妬したくなる気持ちも分からないでもない。私が13歳のソプラノなら私も嫉妬で夜も眠れないかもしれない。幸いにも私は13歳でもなければソプラノでもない。彼女の声聞いてると喉が壊さないか心配になるよ。その危うさがまた魅力なんだろうけど。 (00/2/14)


Feye Wongの「89>97’精選」を聞く。彼女の声を聞くと中国や香港(今は中国の一部だけど)の友だちを思い出す。それといくつかの想い出を。多謝、菲。欧米人とはともかく、彼らと英語でしか話ができないのは妙な感じだ。私が中国語を学ぶか彼らが日本語を学べばいいのだが。とはいえ、(中国語でカバーするならともかく)Feyeには日本語で歌って欲しくない。重慶森林=Chung King Express=!(00/2/12)


QueenのアルバムMiracle を聞く。高校の時、同室のイギリス人がQueenばっかり聞いていた。Queenの曲に日本語が入っているのがあるが、彼はそれを私に聞かせてニヤニヤしていた。神経質な奴でベッドの傍に立つとき必ず両足を揃えてから歩き始める。(四人部屋にはベッドと病室にあるような物入れしかない)芸術の授業で一緒だったが、彼は芸術家の素質を持っていてその作品には唸らされた。(00/2/9)


オーティス・レディングを聞く。"See you later, alligator!"(00/1/28)


論文終わった!最近はPizzicato Fiveをよく聞く。今日の府中は久しぶりの雨。 (00/1/7)


いまJ-Waveで流れている天川原(てぃんがーら?)の 「夜間飛行」、いいね。(99/12/21) 


Celine Dionの"S'il suffisait d'aimer"って歌、いいですね (99/8/25?)


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