モウグリの兄弟たち

ラデャード・キプリング著、『ジャングル・ブック』より

山本ゆうじ訳

原典  "The Project Gutenberg of The Jungle Book by Kipling" Jnglb10.zip

And Rudyard Kipling, "The Jungle Books," Penguin Polular Classics ed., London: Penguin Books, 1994, First published in 1894.

版番号  0.72 (2002/6/9改訂)

この作品には今日では差別的とされる表現を一部含んでいます。作品の時代背景を考慮した上でこれらの表現は残してあります。ご理解をお願いします。

電子版注

著作権に関する注が最後にあります。本文書の最新版は秋桜舎 < http://cosmoshouse.com/ >にて入手できます。訳文に関するご意見、ご感想もお待ちしています。


 

蝙蝠のマングが解き放つ夜を

   鳶のチルがねぐらへと運ぶ

牛豚どもが小屋に追われて

   暁までは我らの天下

今や誇りと力のとき

   牙と蹴爪と鉤爪の

おお、あの雄叫びを聞け!――「よき狩りを、

   ジャングルの掟を守るものよ!」

       ――ジャングルの夜歌

 

 

 あるとても暖かい夕べ、午後七時ごろにセオニの丘で、父狼はその日の休息から目覚めた。身を掻いてあくびし、足先に残る眠気を振り払おうと、足を順に伸ばす。転げまわってきいきい鳴いている四頭の仔狼に、母狼が大きな灰色の鼻をもたせかけた。この一家の住む洞穴の入り口には、月の光が差し込んでいる。

 「アゥグルゥ!」父狼が吼えた。「そろそろ狩りの時間だな」父狼が丘を駆けおりてゆこうとしたとき、もじゃもじゃ尻尾の小さな影が洞窟の口から入りこんできて、哀れっぽい声で鳴いた。「ご幸運を、狼のおさよ。気高いお子様方にも、ご幸運と強く白い牙が授かりますように。この世で腹が満たされるということはありませんからねえ」

 それはジャッカルの”皿舐めタバキ”だった。インドの狼たちは、ちょろちょろして厄介事を起こし、告げ口をして、村のごみためでぼろくずや皮のきれはしを喰うタバキを、軽蔑していた。だが、狼たちはタバキを恐れてもいた。タバキはジャングルの誰よりも頭がおかしくなりやすく、そうするとタバキは自分の臆病さを忘れて森を駆け回り、手当たり次第に噛みつくのだ。この小さいタバキが狂ったときには、虎でさえ走って隠れる。狂うことは野生の生き物たちにとっては、もっとも不名誉なことだからだ。我々、人間はこれを恐水病と呼ぶが、動物たちは”狂気デワニ”と呼んで恐れる。

 「入って、自分の目で見てみろ」父狼は冷たく言った。「ここには食べ物はないぞ」

 「狼方にゃそうでしょうが、あっしのような卑しい者には、干からびた骨でもごちそうでさあ。誰あろう、ジャッカルの民ギドゥール・ログは選り好みいたしませんよ」タバキは洞穴の奥にさっと駈け寄り、肉が少々残っている牡牛の骨を見つけるや、座り込んで嬉しそうに端に齧りついた。

 「おおきにごちそうさま」タバキは口を舐めまわした。「おやおや、気高いお子様がたのお美しいこと! お目めがなんて大きいんでしょう! みんなお若いですなあ! いやいやまったく、王たる方のお子は、生まれたときから立派な男だと言いますが、そのとおりで」

 タバキは、あからさまに仔を誉めちぎられることほど、きまりの悪いことはないことをよく知っていた。母狼と父狼が不愉快そうにしているのを見て、目を細めた。

 タバキは座ったまま、自分がしかけた悪さを楽しみながら、意地悪く言った。

 「”大きな者”シーラ・カーンが狩場をかえましたぜ。次の月には、この丘で狩るって、あっしに話してました」

 シーラ・カーンは、約三十キロほど先の、ワインガンガ河の近くに住む虎だった。

 「奴にそんな権利はない!」父狼は怒りだした。「ジャングルの掟に従い、前もっての知らせなしには狩場をかえる権利はないはずだ。あいつは、獲物の群れを十数キロ先まで脅かしてしまうだろう。わしは――このごろは二頭分狩らねばならんのに」

 「あいつの母親が”足をひきずる者”と呼んだのも無理はないね」母狼は静かに言った。

 「あいつは生まれたときから片足を引きずっていた。だから牛しか狩れないんだ。ワインガンガの村人を怒らせておいて、ここに来てわたしたちまで怒らすつもりだね。あいつがいないときに村人がジャングルを探し回るだろうから、子供やわたしたちは、草原が人の明かりで照らされれば逃げなけりゃならない。まったくシーラ・カーンさまさまだよ」

 「そうお伝えしときましょうか?」タバキが言った。

 「出てゆけ!」父狼がぴしゃりと言った。「お前の主人と狩りをするがいい。お前はもう一晩分の悪さはしたはずだ」

 「行きますよ」タバキは静かに言った。「下の茂みにシーラ・カーンがいるのがお分かりでしょ。こりゃ言うまでもないや」

 父狼が耳をすますと、小川へと続く谷底から、ぐちっぽく怒っているような、耳障りで鼻にかかった単調な唸り声が聞こえてきた。獲物が捕れなかったことを、ジャングル中に知られても頓着しないかのようだ。

 「馬鹿者が!」父狼は言った。「夜の狩りのしょっぱなから、あんな物音を立てるとはな! いったい、あいつはここいらの牡鹿が、ワインガンガの肥えた去勢牛と同じだとでも思っているのか?」

 「シッ。今夜あいつが狩るのは牡鹿や去勢牛じゃないわ」母狼が言った。「ヒトよ」

 声は、四方から聞こえてくるような、鼻歌のような喉声に変わった。その声は、屋外で寝るきこりやジプシーたちを惑わせ、ときには待ちかまえている虎の口に向かって走らせることもある。

 「ヒトだと!」父狼は白い牙を剥き出して言った。「ファーウ! 池の虫や蛙でも喰っておればよいのに、あいつはヒトを喰わなきゃならんのか。しかも我らの土地で!」

 ジャングルの掟には、すべてもっともな理由があり、獣がヒトを喰うことは禁じられていた。殺し方を教えるために殺すときと、自分の群れや部族の狩場の外で狩りをしなければならないときを除いては。この掟の真の理由は、ヒトを殺すと、遅かれ早かれ、象に乗り銃を持った白いヒトと、何百もの褐色のヒトが、鐘や火矢やたいまつを持ってやってくるからだった。そうなれば、ジャングルに住むものたちすべてに迷惑がかかる。獣たちに言わせれば、ヒトが生き物の中で一番弱く、一番頼りないので、連中を傷つけるのは公平ではない、ということだった。また(実際そうなのだが)ヒトなどを喰うと、毛や歯が抜けてしまう、とも言われていた。

 喉声は大きくなり、ついに「アァァルッ!」いう虎の突撃の雄叫びが聞こえた。

 そしてシーラ・カーンのわめき声、それも実に虎らしくない声が聞こえた。「しとめ損なったね。どうしたんだろう」母狼は言った。

 父狼は何歩か走り出て、低木の茂みを走り回ってみると、シーラ・カーンが、獰猛にごろごろ唸っているのが聞こえてきた。

 「あの馬鹿、常識はずれにもきこりの焚き火に飛び掛かって、足を焼いたようだ」父狼は唸るように言った。「タバキと一緒らしい」

 「何かが丘を登ってくるわ」母狼が、片耳をぴくりとさせて言った。「気をつけて」

 茂みががさがさしたので、父狼は腰を落として飛び掛かる用意をした。もしこの様子を見ていたら、世界でもっとも素晴らしい見ものが見られただろう――空中で止まる狼を。父狼は、目標が何であるかを見きわめる前に飛び掛かり、そして途中で止まろうとしたのだ。その結果、父狼は宙に一メートル半も跳ね上がり、元とほぼ同じ場所に着地した。

 「ヒトだ!」父狼は叫んだ。「ヒトの仔だ。見てみろ!」

 父狼のすぐ前には、ようやく歩き始めたくらいの、褐色の赤ん坊が、低い枝につかまって裸で立っていた。その赤ん坊は、夜に狼の洞穴を訪れたものの中では、もっとも柔らかく、すべすべとした生き物だった。赤ん坊は父狼の顔を見上げて、笑った。

 「それがヒトの仔なの?」母狼は言った。「見たことないわ。ちょっと見せてよ」

 仔狼を運ぶことに慣れている狼は、必要なら卵を壊さずに動かすことさえできる。父狼のあごは、ちょうど子供の首根っこをくわえていたが、仔狼のあいだにそっと置いたときでも、その牙は一本も赤ん坊の肌を傷つけることはなかった。

 「なんて小さいのかしら! すっ裸で――それに大胆ね!」母狼は、そっとささやいた。赤ん坊は、母狼の暖かい毛皮に近づこうと、ほかの仔狼を押しのけて寄ってきた。「うふふっ! この仔ったら他の仔にまじってお乳飲んでるわ。これがヒトの仔ってものなのね。ねえ、ヒトの仔を持っているって自慢できる狼なんていたかしら?」

 「話には聞いたことがあるが、我らの群れの中ではないだろう。わしが生まれる前かもしれん」父狼が言った。「こいつにはまったく毛がないな。脚で撫でただけで殺してしまいそうだ。でも見ろ、こいつが見上げるようすときたら、ちっとも怖れていないようだ」

 洞穴の口からもれていた月光が、ふと、かげり、シーラ・カーンの大きな角ばった頭と肩が、入り口にぬっと突っ込まれた。タバキが、後ろでキーキー鳴いていた。「ご主人さま、ご主人さま、やつは確かにここに入りましたよ!」

 「これは光栄ですな、シーラ・カーン」父狼は言ったが、双眼は怒りに燃えていた。「何のご用かな?」

 「わしの獲物だ。ヒトの仔がここに入り込んだはずだ」シーラ・カーンが言った。

 「そいつの親は逃げてしまったのでな。そいつを渡してもらいたい」

 父狼が言ったとおり、シーラ・カーンは木こりの焚き火に飛びこんで、火傷をした足の痛みのせいで怒り狂っていた。

 しかし、父狼は、洞穴の入り口が虎にとっては狭すぎることを知っていた。シーラ・カーンが今いるところでさえ、肩と前足がつっかえて窮屈だった。人間なら、樽に身を突っ込んで戦おうとしているようなものだ。

 「我ら狼は自由な民だ。群れのかしらからの命令ならば受けよう。だが、縞々の牛殺しに貸す耳は持たない。ヒトの仔は我らのものだ――仮に殺すとしてもだ」父狼は言った。

 「決める、だと! なんだ、その決める決めないとかいう話は? 我が屠りし雄牛にかけて、正当な分け前のために、貴様ら犬のねぐらに鼻を突っ込むのを我慢せねばならんとはな! 話しておるのはこのわし、シーラ・カーンだ!」

 虎の咆哮が、雷のように洞穴に轟いた。母狼は仔たちから身を振り離すと、シーラ・カーンの燃え上がる目に面して、闇に輝く緑の月のような双眼を煌かせて飛び出した。

 「ならば答えるのはこのわたし、羅刹ラクシャよ。ヒトの仔はわたしのものだ、ルングリ。この仔はわたしのもの! 殺したりはしないわ。生きて、群れと共に駆け、群れと共に狩りをするのよ、裸のちびっ仔しか狩れない、蛙喰いで魚喰いさん。この仔はやがてお前を狩るでしょう! 分かったら、我が屠りし水鹿サンバーにかけて、ジャングルで火傷をした間抜けな獣よ、お母ちゃんのところへでもお帰り! わたしはあんたと違って、やせっぽっちの牛なんぞ狩りはしないのだからね。さあ、行っておしまい!」

 父狼は驚きにうたれて、このやりとりを見ていた。父狼は、公平な決闘で、五頭の狼から母狼を勝ち取った日々をほとんど忘れていた。母狼が群れと共に駆けたときは、決してお世辞で羅刹と呼ばれたのではなかった。シーラ・カーンは父狼に立ち向かうことはできても、母狼には敵わなかった。母狼には地の利があったし、死ぬまで戦うだろう。虎は唸り声をあげて、洞穴の入り口から引き下がり、外から叫んだ。

 「犬は自分の縄張りで勝手に吠えていればいいさ! ヒトの仔を育てるなど、群れが許すか見ものだな。その仔はわしのものだ、最期はわしの牙にかかるのだ。このもじゃもじゃ尾っぽの泥棒め!」

 母狼は、荒い息で、仔の間に身を投げ出した。父狼は母狼に重々しく言った。

 「シーラ・カーンは、嘘は言っておらん。仔は群れに見せなくてはならない。おまえ、ほんとにこいつを置いておく気かい?」

 「置いておくか、ですって?」母狼があえぎながら言った。「この仔は、夜中にひとりでやってきて、腹ぺこだったのよ。怖がりもせずに! ほら、もうわたしの赤ちゃんを押しのけちゃったわ。あの足が悪い肉屋はこの仔を殺して、村人が復讐のために、わたしたちのねぐらすべてを狩りだしている間に、ワインガンガに逃げてしまったでしょうね。置いておくかって? もちろんよ。小さい蛙ちゃん、じっとしてなさい。お前はモウグリ、蛙のモウグリよ。シーラ・カーンがお前を狩ったように、いつかお前がやつを狩る時がきっとくるわ」

 「だが、群れは何というだろう?」父狼が言った。

 ジャングルの掟は、どんな狼でも結婚するときに、自分が属する群れから離れることをはっきり定めている。しかし仔狼がひとりで立てるほど大きくなれば、仔狼は群れの議会に連れて来なくてはならない。他の狼が仔狼を見分けられるように、議会はひと月に一度満月の夜開かれる。この顔見せの後で、仔狼は自由に駆けることができる。仔狼が最初の雄鹿を狩るまでに、群れのおとなの狼がその仔狼を殺した場合は、言い訳はできない。仔殺しが見つかればその罰は死だ。少し考えてみれば、なぜそうなるかお分かりいただけるだろう。

 仔どもたちが少し駆けることができるようになるまで、父狼は待った。そして群れの集いの夜、仔狼とモウグリ、それに母狼を議会岩に連れて行った。議会岩とは、百頭もの狼が隠れることができる無数の岩石で覆われた、丘の頂上のことである。力と知恵にかけて群れを率いてきた、大きな灰色の”独り狼”、アケーラが、自らの岩の上に身を横たえていた。”独り狼”の下には、自分一頭だけで雄鹿をあしらうことができる穴熊のような毛皮のベテランから、そうできると思っている黒くて若い三歳狼たちまで、四十頭以上ものさまざまな大きさと毛色の狼が座っていた。”独り狼”は、すでに一年にわたってこの群れを率いていた。アケーラは若いころに二度、狼わなにかかり、一度は人に打ちすえられて死にかけたことがあった。ヒトのやり方と習慣は骨身にしみていた。議会岩のまわりは静かだった。仔狼たちは、母親と父親が座った円の中心でお互い転げまわっていた。ときおり、おとなの狼が仔狼のところまで静かに寄って、注意深く覗きこんだあと、音も立てずに自分の場所に戻っていく。見過ごされないようにと、時々、母親が自分の仔狼を月光の中に押し出す。そして、アケーラが、自分の岩から吼える。「掟を知るものたちよ――掟を知るものたちよ。おお、狼たち、しかと見よ!」不安げな母親が続いて叫ぶ。「よく見て――よく見てください、みなさん!」

 ついに自分たちの番が来たとき、母狼の首の毛は逆立った。父狼は、月光できらきら輝く小石で遊んで笑っている”蛙のモウグリ”を、円陣の中に押しだした。

 アケーラは、前足から頭を上げもせず、単調な叫び声で先を続けた。「しかと見よ!」そのとき、シーラ・カーンの押し殺した吼え声が岩の後ろから聞こえてきた。

 「その仔はわしのものだ。わしに渡せ。自由の民が、なぜヒトの仔にかかわるのだ?」

 アケーラは、耳をぴくりとも動かさず、ただ続けた。「しかと見よ、おお、狼たち! 自由の民の他に、自由の民に命じるものはない。しかと見よ!」

 低い唸り声がいっせいにあがり、四歳になる若い狼が、シーラ・カーンの問いをアケーラに投げかけた。「なぜ自由の民が、ヒトの仔にかかわるのです?」

 さて、ジャングルの掟が定めるところによると、仔を群れに受け入れることに異議があれば、その父親と母親以外に、少なくとも群れの二頭によって弁護されなくてはならない。

 「誰か、この仔を弁護するものはいないか? 自由の民で、誰か口をきいてやるものは?」アケーラが言った。答えはなかった。母狼は、ことが争いに発展したら、これが最後となるであろう戦いに備えて、身を堅くした。群れ議会に加わることを許されている、狼以外の唯一の獣が、後ろ足で立ち上がって、唸り声を上げた。それはバルーだった。仔狼にジャングルの掟を教える、いつも眠そうにしている茶色の熊、木の実と木の根っこと蜂蜜しか食べないため、好きな場所に行き来できる老いた熊だった。

 「ヒトの仔――ヒトの仔だと? わしがこの仔を弁護しよう。ヒトの仔には害がない。言葉を飾るわざは持たんが、わしが語るのは真実まことだ。群れと共に駆けることを許し、受け入れてやりなさい。わし自身がこの仔を教えよう」

 「もうひとり必要だ。若い仔らを教える我らが教師、バルーが口をきいた。誰かバルーのほかに、口をきいてやるものはいないか?」アケーラが言った。

 黒い影が、円陣の中に飛び込んできた。黒豹のバギーラだった。墨を流したような黒い毛皮は、波うつ絹のように、光の加減で豹紋が浮かび上がるのだった。だれもがバギーラを知っており、だれもがその道を横切ることを望まなかった。バギーラはタバキと同じほど狡猾で、野生の水牛と同じほど大胆で、手負いの象と同じほど無謀だった。しかし、その声は樹から滴る蜂蜜のように甘く、毛皮は綿毛のように柔らかだった。

 「おお、アケーラと自由の民よ」バギーラはのどを鳴らして言った。「おれはこの集いで発言権を持っていない。しかしジャングルの掟の定めるところ、新しい仔を受け入れることに異議があるとき、殺しが絡んでいなければ、その仔の生命を相応の代償にてあがなえる、とある。掟は、誰がその価を払うべきかは定めてはいない。そうだな?」

 「そうだ! そうだ!」常に空きっ腹をかかえている、若い狼連中が言った。

 「バギーラの言うことに耳をかたむけろ。仔は価により購うことができる。それが掟だ」

 「おれに話をする権利がないことは承知しているが、お許し願いたい」

 「話せ」二十頭ばかりの声が叫んだ。

 「裸の仔を殺すことは恥だ。慰みものにしてやりたければ、大きくなってからでいい。いまバルーが、この仔のために口をきいた。バルーの言葉に、おれは雄牛を一頭加えよう。掟に従ってヒトの仔を受け入れれば、ここから一キロもない場所にある、屠ったばかりの肥えた雄牛をやろう。難しい相談だろうか?」

 数十の叫び声があがった。「けっこうじゃないか? こいつはやがて、冬の雨に打たれて死ぬだろう。照りつける日に焦がされるだろう。裸の蛙に何の害がある? 群れと共に駆けさせろ。雄牛はどこだ、バギーラ? こいつを群れに加えてやれ」それからアケーラの深い吼え声が響いた。「しかと見よ――しかと見よ、おお、狼たち!」

 モウグリはまだ小石に熱中しており、狼が一頭ずつ来て顔を覗きこんだことに気づきもしなかった。狼の群れは、屠られた雄牛を求めにすべて丘を下り、アケーラ、バギーラ、バルー、モウグリとその家族の狼だけが残された。シーラ・カーンの咆え声が、夜のしじまに響いてきた。モウグリが渡されなかったので激怒していたのだ。

 「ああ、『しかと咆えろ』」バギーラが、ほおひげの下で言った。「そのうち、この裸っ仔が貴様に一味変わった声を出させるだろうからな、おれがヒトというものに思い違いしてなけりゃ」

 「よくやった。ヒトの仔はとても賢い。この仔は、いつの日か助けとなるかもしれない」アケーラが言った。

 「まさに、助けが必要なときにね。誰しも群れを永久に率いるわけにはいかない」バギーラが答えた。

 アケーラはそれには答えず、群れのすべてのかしらに来るべき時について思いを馳せていた。力を失い、日に日に弱って、ついにはかつて率いた狼たちによって殺されるのだ。そして新しいかしらが選ばれる――やがては同じように殺される、その日まで。

 「その仔を連れてゆけ。自由の民にふさわしくなるべく鍛えるのだ」アケーラは父狼に言った。かくして、モウグリは雄牛の価とバルーの言葉により、セオニの狼の群れに受け入れられた。

 ここで十年ばかり省略して、モウグリが狼たちの間で送った素晴らしい生活は想像するだけにしてほしい。この間に起きたことをすべて書くなら、何冊ものの本になってしまうだろう。モウグリは仔狼と共に成長した。もっとも、狼たちはモウグリが赤ん坊から子供になる前にすでにおとなになっていた。父狼はモウグリに、なすべき仕事と、ジャングルの中のものの意味を教えた。草の中のすべてのさざめきの意味を、暖かい夜の空気に満ちるすべての息づかいの意味を、頭上を舞う梟のすべての鳴き声の意味を、蝙蝠の鉤爪が樹上に残したすべてのかき傷の意味を、池で跳びはねる小さい魚のすべての跳ね方の意味を。これらのことはヒトが職場で覚える仕事と同じほど、モウグリにとって重要なことだった。学んでいないときは、モウグリは日の中で座り、眠って、食べて、また眠った。体が汚れたときや、暑いときは、森の小さな池で泳いだ。蜂蜜が欲しくなれば、バギーラがやって見せたのをまねて、樹に登って採った。バルーは、蜂蜜や木の実が生肉と同じぐらい旨いものだと教えたのだ。バギーラは枝の上に横たわって「来いよ、小さな兄弟」と呼ぶ。最初、モウグリはナマケモノのようにしがみついていたが、やがてほとんど灰色猿と同じくらい大胆に、枝を抜けて飛び回れるようになった。群れが集うとき、モウグリも議会岩で自分の場所を占めるようになった。モウグリは、そこでじっと狼の目を覗きこむと、狼たちが目をそらすことを発見した。モウグリは面白がって、狼の目を覗きこむようになった。またある時には、友だちの肉球から長いとげを抜き取ってやった。狼たちは、とげや毛皮にからまる、いがにしばしば苦しんでいたのだ。夜、丘を下ってヒトの住む土地に行き、小屋にいる村人をとても興味深げに見物することもあった。しかし、モウグリはヒトに不信感を抱いていた。モウグリが、ジャングルの中に巧妙に隠された、落とし戸のついた四角い箱の中に入り込もうとしたとき、バギーラがそれは「罠」だと注意したのだ。モウグリは、バギーラと連れ立って、森の暗く温かい奥深くに行き、昼は日長とろとろと眠って、夜はバギーラの狩りを眺めることが何よりも好きだった。バギーラは空腹を覚えると、手当たりしだい気ままに狩りをし、モウグリもそれにならった――ひとつの例外を除いては。モウグリがものごとを理解するのに十分成長するとすぐに、バギーラは、モウグリは雄牛の生命と引き換えに群れに受け入れられたのだから、牛には決して触れてはならないと言った。「ジャングルのすべてがお前のものだ」バギーラは言った。「お前が屠ることができれば、なんであれ屠るがいい。だがお前の命をあがなった雄牛のために、若かろうが老いていようが、牛だけは決して殺したり食べたりしてはならない。それがジャングルの掟だ」モウグリは素直に従った。

 自分が何かを学びつつあることに気づかず、食べること以外は何も考えつかない少年が育つべく、モウグリは成長し、逞しくなった。

 母狼は一、二度、シーラ・カーンは決して信用できない、いつかはモウグリが殺さなくてはならない、とさとした。

 若い狼ならその忠告をずっと覚えていただろうが、ただの少年に過ぎないモウグリはそのことを忘れた――もっとも、人間の言葉で話せたなら、自分のことは狼と呼んだだろう。

 シーラ・カーンは、ジャングルで恐れるものなく、自分の道を通っていた。アケーラが老いて弱るにつれて、この足が悪い虎は群れの若い狼と親交を深め、残飯を求める狼を後に従えていた。アケーラが自分の権威を及ぼせるものなら、決して許さないことだった。シーラ・カーンは若い狼にお世辞を言い、このような立派な若い狩うどたちが、死にかけた狼とヒトの仔によって率いられて満足しているとは、と驚いてみせた。「聞くところによれば、議会で、君たちは奴の目をまともに見ることができんそうじゃないか」とシーラ・カーンが言えば、若い狼たちは唸り声をあげて、怒りに毛を逆立てるのだ。

 あらゆる場所に目と耳を持つバギーラはこのことを知っており、モウグリに、一度ならずシーラ・カーンはいつかお前を殺そうとするだろうと告げた。モウグリは笑って、答えた。「おれには群れがついているし、お前もいるじゃないか、バギーラ。バルーは怠け者だけど、おれのために何発かぶちかますぐらいはしてくれるぜ。何を恐れることがあるんだい?」

 バギーラがあることに気づいたのは、あるとても暖かい日だった。おそらくヤマアラシのイッキが話したのだろう。ジャングルの奥深くで、モウグリが、バギーラの美しい黒い毛皮に頭をもたせかけて横になっていたとき、バギーラは言った。「小さな兄弟よ、シーラ・カーンはお前の敵だと、何べんおれに言わせる気だ?」

 「その椰子についている実と同じぐらいたくさんさ」数を数えることができないモウグリは答えた。「それがどうした? おれは眠いんだ、バギーラ。シーラ・カーンのことになると、孔雀のマオの尾っぽのように長くてうるさい話するんだから」

 「今は寝てる場合じゃない。バルーが知っているし、おれも知っている。群れも知っている。あの果てしなく間抜けな鹿さえ知っている。タバキもお前に話したはずだ」

 「あはは! タバキはこないだ、おれのことを無礼にも裸のヒトの仔と呼んで、草の根を堀るなといったんだ。だからあいつのしっぽをつかんで、行儀を教えるために、椰子の樹に二回ばかり打ちつけてやったよ」

 「愚かなことをしたな。タバキはでたらめの陰口を並べるやつだが、お前にかかわることを話していたかもしれないんだぞ。

 小さな兄弟、まなこをしっかり開け。シーラ・カーンはジャングルの中では、あえてお前を殺すことはしない。お前も知ってのとおり、アケーラはひどく老いている。まもなく雄鹿を狩りそこねて、かしらの座を追われる日が来るだろう。最初に議会につれてこられたとき、お前を認めた狼の多くもまた年老いている。シーラ・カーンが吹き込んだせいで、若い狼は、群れにはヒトの仔のための場所はないと思っている。お前はもうすぐ一人前のヒトだ」

 「その、兄弟と共に駆けることができない、ヒトというのはいったい何なんだ?」モウグリは言った。「おれはジャングルで生まれた。ジャングルの掟に従ってきたし、おれがとげを足から抜いてやらなかった狼は一頭もいない。もちろん、狼たちはおれの兄弟だ!」

 バギーラは体を伸ばして、半分目を閉じた。「弟よ、おれのあごの下を触ってみろ」

 モウグリは力強い褐色の手を上げて、バギーラのつやつやした毛の下にうねる巨大な筋肉を隠した、絹のように滑らかなあごのすぐ下に、小さい毛がない場所を探りあてた。

 「このバギーラがこの跡をもつことを知るものは、ジャングルで誰もいない――そうだ、首輪の跡だ、小さい兄弟。おれはヒトの世界で生まれ、母はヒトの世界で死んだ――ウダイプルの王宮の檻のなかでな。お前が小さな裸の仔だったとき、議会でお前の価を払ったのはこのためだ。そう、おれもまたヒトの間で生まれた。一度もジャングルを見たことはなかった。ヒトは、檻の向こう側から鉄の皿で食べさせてくれた。そして、おれはある晩、ふと悟ったのだ。おれは豹のバギーラであって、ヒトのおもちゃではない、と。そして前脚の一撃でつまらない錠を壊して、そこを去った。ヒトのやり口を学んでいたから、おれはジャングルでシーラ・カーンよりも恐れられるようになった。そうだろう?」

 「ああ、そうだ。ジャングルのすべてはバギーラを恐れる――モウグリ以外のすべてはね」モウグリが答えた。

 「ああ、お前はヒトの仔なんだよ」とても優しく黒豹は言った。「おれがジャングルに戻ったように、お前はいずれはヒトのもとに戻らなくてはならない――兄弟であるヒトのもとに――議会で殺されずにいればな」

 「けど、なぜ――いったいなぜ、だれかがおれを殺そうとするんだ?」

 「おれの目を見ろ」バギーラが言った。モウグリはバギーラの目をじっと見つめた。

 大きな豹は、三十秒ほどで目をそらした。

 「そういうわけだ」バギーラは、葉の上で足の位置を変えながら言った。「おれでさえ、お前を見つめ返すことができない。ヒトの間で生まれたおれは、小さな兄弟、お前が好きなんだ。他の連中がお前を嫌うのも、見つめ返すことができないからだ。分別があって、あいつらのとげを抜いてやるからだ――お前が、ヒトだからなんだよ」

 「そんなこと、知らなかった」モウグリは不機嫌に言って、黒く濃い眉をひそめた。

 「ジャングルの掟は何と言っている? 最初に攻撃して、次に声をかけろ、だ。お前自身の不注意が、お前がヒトだということを連中に知らせたのだ。だが、分別を忘れるな。アケーラは、狩りをして雄鹿を倒すごとに力をすり減らしている。アケーラが次の獲物を狩りそこねるとき、アケーラとお前は、群れと対決することになると、おれの心にささやくものがある。群れは、議会岩でジャングル議会を開くだろう、それから――それから――そうだ!」バギーラが、跳び上がった。「谷のヒトたちの小屋までひとっ走り行って、そこで育つ”赤い華”を持ってくるんだ。時が来れば、おれやバルーやお前を愛する群れのものたちより、強い友を得るだろう。赤い華を手に入れろ」

 バギーラは、”赤い華”と呼んだのは火である。ジャングルの獣は、火を本来の名前で呼ばない。火は、すべての獣から死ぬほど恐れられており、獣は百もの名前でそれを呼ぶ。

 「赤い華だって? 夕暮れ時に小屋の外で育つやつだな。すこし手に入れてこよう」

 「それでこそ、ヒトの仔だ」バギーラは誇らしげに言った。

 「小さい壷の中で育てることを忘れるな。手早く持ってきて、必要になるまでとっておけ」

 「よし! おれは行く。けど、確かなのか、おれのバギーラ」モウグリは素晴らしい首の周りに腕を滑らせて、その大きな目を覗きこんだ。「この企みがシーラ・カーンの仕業だというのは?」

 「小さな兄弟、おれを自由の身にした、壊れた錠にかけて、確かだ」

 「なら、おれを買った雄牛にかけて、シーラ・カーンに思い知らせてやるまでだ、もうじきにね」モウグリは言って、弾むように駆け去った。

 「それでこそヒトだ。まさに、ヒトというものだ」バギーラはまた横たわり、独り言を言った。「おお、シーラ・カーン、貴様の十年前の蛙狩りより忌まわしい狩りはなかったのだ!」

 モウグリは、森を抜けて遠く、遠くへと激しく駆けていって、心臓が焼けつくようだった。夕霧が立ちこめるころ、洞穴に帰りついた。息を吸いこんで、谷を見下ろした。仔狼たちは外出していたが、母狼は洞穴の奥で、モウグリの息づかいから、何かが蛙っ仔をわずらわせていることを知った。

 「どうしたの? 坊や」母狼が言った。

 「コウモリがシーラ・カーンのことを話してたのさ」モウグリは叫び返した。「今夜は耕地で狩るよ」そして低木を抜けて、谷底の流れに向けて駆け下りていった。そこでモウグリは立ち止まった。狼群の狩りの叫び、追われる水鹿サンバーの唸り声、追いつめられた雄鹿が向き直って鼻を鳴らす音が聞こえた。その時、若い狼たちの悪意に満ちた、嘲笑の叫びが上がった。

 「アケーラ! アケーラ! ”独り狼”の力を見せてもらおう。かしらに道をあけろ! アケーラ、飛びかかれ!」

 ”独り狼”は飛びかかり、仕留め損なったようだった。モウグリにはアケーラの牙が宙を噛んだ音と、大鹿が前足で打ちかかり、アケーラの苦痛に満ちた叫びを聞いた。

 モウグリはそれ以上待たずに、走り出した。村人が住む農地にたどり着いたころ、叫び声はかなたに消えていった。

 「バギーラの言ったことは本当だ」小屋の窓のそばの、牛の飼い葉に座りこんであえいだ。「明日はアケーラにとっても、おれにとっても大変な日になるな」

 モウグリは窓に近い顔を押しつけて、炉床の火を見つめつづけた。夜になると農夫の妻が立ち上がって、黒いかたまりを入れるのが見えた。朝が来て、冷たい霧で辺りが真っ白になるころ、ヒトの子供が、牛舎で雌牛の世話をするために外に出てきた。内側に土を塗った枝編み細工の壷を拾い上げて、真っ赤に焼けた木炭のかたまりで満たし、自分の毛布の下に抱えた。

 「あれだけのことか? 仔ができることなら、恐れることもないさ」モウグリは角を大またに回って、少年に出会い頭、手から壷を取り上げ、少年が恐怖にわめいている間に、もやの中に姿を消した。

 「おれとほんとうによく似ている」モウグリは言って、女がしたように、壷の中へ息を吹き込んだ。「こいつには食べものをやらないと、死んでしまうだろう」モウグリは、その赤いものの上に小枝と乾いた樹皮を落とした。丘を上る途中で、モウグリは朝露で毛皮を月長石ムーンストーンのように煌かせたバギーラに会った。

 「アケーラは、狩りそこねた」豹は言った。「やつらは昨夜でもアケーラを殺せたのだが、お前もいっしょにやっつけるつもりだ。連中は丘の上でお前を探している」

 「おれは耕地にいたんだ。用意はできている。見ろ!」モウグリは火壷をかかげた。

 「よし! ヒトが乾いた枝をそれに突っ込んだのを見たことがある。赤い華はその端に花開くんだ。お前は怖くないのか?」

 「いや。なにを怖がる? 今思い出したよ。あれが夢でなければ――狼になる前に、赤い華の横に寝ていたことを。暖かくて気持ちよかった」

 その日一日、モウグリは洞穴の中に座って火壷の番をして、乾いた枝をちょっとつけては様子を見た。モウグリはようやく適当な枝を見つけた。夜になるとタバキが洞穴にやって来て、モウグリが議会岩に召還されたことを、尊大な口調で告げた。モウグリはタバキが走り去るまで、笑い続けた。それからモウグリは、まだ笑いながら議会に行った。

 ”独り狼”のアケーラは、群れのかしらの地位が空位であることを示すために、自分のものだった岩のそばで横になっていた。シーラ・カーンは残飯食い狼の連中を従え、お世辞を言われながら、我が物顔に歩きまわっていた。バギーラはモウグリのそばに横たわり、モウグリは火壷をひざの間に置いた。全員が集まったとき、シーラ・カーンが話しはじめた。アケーラが力を持っていたときならば、決してしなかったことだった。

 「あいつは話す権利がない」バギーラがささやいた。「そう言うんだ。やつは犬の子だ。やつは怯えるだろう」

 モウグリは、跳び上がるように立ち上がって叫んだ。「自由の民よ、シーラ・カーンが群れを率いるのか? かしらの地位と虎に何のかかわりがある?」

 シーラ・カーンは言いはじめた。「かしらが空位で、話をするように頼まれているから――」

 「誰が頼んだ?」モウグリが遮った。「この牛殺しにへつらって尾を振るなんて、いったい我らはジャッカルか? 群れのかしらの地位は、群れだけにかかわりがあることだ」

 いくつかの叫び声があがった。「黙れ、ヒトの仔め!」「話をさせてやれ。掟を守っているじゃないか」ついに群れの年長狼たちの声が響き渡った。「”死に狼”に話をさせろ」群れのかしらが獲物を狩りそこねたとき、まだ生きている間は”死に狼”と呼ばれるが、それも長くはない。

 アケーラは、疲れ切った様子で頭を上げた。

 「自由の民よ、そしてシーラ・カーンの使い走りのジャッカルどもよ。十二年に渡って、わしはお前たちを率いてきた。狩りに出てからねぐらに戻るまで、お前たちのどの一頭としてわなで捕えられたり、怪我を負ったりしたことはなかったはずだ。いま、わしは獲物を狩りそこねた。

 お前たちは、どのようにその謀略が企てられたか、よく知っておるだろう。わしが弱っていることを知りながら、無傷の雄鹿にわしを立ち向かわせたのだ。いかにも巧妙なやり口だ。お前たちの権利は、この議会岩の上でわしを屠ることだ。さあ来い、”独り狼”を屠るものは誰か? ジャングルの掟にかけて、お前たちが一頭ずつかかって来ることが、わしに残された権利だ」

 長い静寂があった。どの狼にとっても、アケーラに対して死を賭けて戦いを挑むなど思いもよらないことだった。その時、シーラ・カーンが吼え立てた。「グヮウ! この歯抜けの愚かものと我らに何のかかわりがある? こいつはどうせ死ぬと定められている! ヒトの仔は、あまりにも長い間生きすぎたのだ。自由の民よ、あやつは初めから、わしの肉だった。あやつを渡せ。この”ヒト狼”とかいう馬鹿げたものには、もう飽き飽きだ。十年に渡って、あやつはジャングルを騒がせた。ヒトの仔を与えろ、さもなくば、わしはお前たちの狩場で狩り続けて、骨一本残さぬぞ。あやつはヒトだ、ヒトの子だ、骨の髄から、わしはあやつを憎む!」

 群れの半分以上が叫んだ。「ヒト! ヒト! ヒトが我らと何のかかわりがある? 来た場所に帰らせればいい」

 「そして村のすべての奴らを敵に回すのか?」シーラ・カーンがやかましく言い立てた。「いや、わしによこすのだ。あやつはヒトだ、我らはあやつの目を見返すこともできないんだ」

 アケーラが再び頭を持ち上げて、言った。「この仔は我らの食物を食べた。我らと共に寝て、我らのために獲物を追った。この仔はジャングルの掟の言葉を破らなかった」

 「そして、おれはお前たちがモウグリを受け入れるときには、雄牛で価を払った。雄牛の価は戦うほどのことではないが、バギーラの誇りは違うかも知れんぞ」ひどく優しい声でバギーラが言った。

 「雄牛の価だと! 十年前の古い骨がどうした?」群れが歯を剥いて吠え立てた。

 「誓いも破るか?」バギーラが、唇の下に白い牙を覗かせて言った。「自由の民とは、よくぞ言った!」

 「ヒトの仔がジャングルの民と共に駆けることなどできない」シーラ・カーンがわめき立てた。「やつをよこせ!」

 「血はつながっていなくとも、モウグリは我らの兄弟だ」アケーラが続けた。「あの仔を牙にかける前に、わしを屠るがよい! 実際、わしはあまりにも長い間生きすぎた。お前たちの中には、恥ずべき家畜殺しがおる。あまつさえ、シーラ・カーンにならって、暗い夜に村人の戸口から子供たちをひっさらう者さえおると、耳にした。お前たちが臆病者とは、よく分かった。わしが今話すのは、その臆病者どもに対してだ。わしが死ななくてはならぬことは確かだ。この命、ヒトの仔の代わりにくれてやろう。かしらを忘れ、かしらなしでいる以上、無意味かもしれぬが、群れの誇りにかけて――ヒトの仔を来た場所に返すなら、わしが死ぬべきとき、お前たちに対して牙を向けぬことを約そう。戦わずして死のう。そうすれば、少なくとも三頭は死なずに済む。それ以上のことはできぬ。だがそうすれば、誰に対しても落ち度のない兄弟――ジャングルの掟により、弁護され、価でもって群れに受け入れられた兄弟を、殺す恥をかかずにすむだろう」

 「やつはヒト――ヒト――ヒトだ!」群れが咆えたてた。いまや狼の大部分が、尾を振りはじめたシーラ・カーンのまわりに集まりはじめた。

 「今、事はお前の手にある」モウグリにバギーラが言った。

 「こうなれば戦うしかない」火壷を手にして、モウグリは立ち上がった。そして腕を伸ばして、議会に向かってあくびしてみせた。しかし、心の内は深い悲しみに満たされ、激怒していた。なぜなら狼たちは、いかにも狼らしく、どれだけモウグリを憎んでいたか一度たりとも言ったことがなかったからだ。

 「聞け!」モウグリは吼えた。

 「犬のたわ言には、もううんざりだ。おれは死ぬまで、お前たちと共に狼でいるつもりだった。だが今宵、おれはさんざんヒトだと言われた。おれには、ようやくそれが本当だとわかった。もうお前たちを兄弟とは呼ばない。その代わり、ヒトのするように、サグと呼ぶ! 何をどうするかは、お前たちが決めることではない。ことはおれの手の内にある。ここに何があるか、見せてやろう。ヒトたるおれは、お前たち犬が恐れる”赤い華”を持って来たぞ」

 モウグリが地面に火壷を投げつけると、赤い燃えさしが、乾いた苔の房に火をつけた。燃え上がる炎を前に、議会はおののいて退いた。

 モウグリは、枯れ枝を火に突っ込むと、枝先に火が燃え移って、パチパチ鳴りはじめた。そして震え上がる狼の頭上で、その枝を振り回した。

 「お前こそが主人だ」バギーラが低い声で言った。「アケーラを死から救え。ずっとお前の友だった」

 燃え上がる枝の炎で、長い黒髪を肩にかけた少年の、すっくと立った裸身が映え、辺りの影は跳びはね、おののいた。生涯一度も慈悲など求めたことがなかった不屈の老いた狼、アケーラは、哀れみを求めるようにモウグリを見た。

 「よし!」ゆっくり見回して、モウグリは言った。「お前たちが犬だということはよくわかった。おれは同類の元へ行く――もし連中が本当におれの同類ならば。ジャングルはおれには閉ざされ、お前たちの言葉と友情を忘れよう。だが、お前たちよりは情けはあるつもりだ。血はつながっていなくとも、お前たちは兄弟だった。正真正銘ヒトとなっても、お前たちが裏切ったようには、お前たちを裏切らないと誓おう」モウグリが足で火を蹴ると、火の粉が舞い上がった。「群れの中での争いは無用だ。だが、行く前にやることがある」シーラ・カーンが、炎を前に呆けて、まばたきして座りこんでいるところに、モウグリは大またで歩みより、あごの房毛をつかんだ。バギーラが見守るように、後に続いた。「立て、犬!」モウグリは叫んだ。「ヒト様が話をしているんだ、毛皮に火をつけられたくなければ立て!」

 燃え上がる枝を近づけられ、シーラ・カーンは、耳を頭の後にぴったり押しつけ、目を閉じた。

 「この”牛殺し”は、おれが仔の時に殺せなかったので、議会にかけて殺そうと言った。それならそうで、ヒトが犬を打ちすえるやり方を見せてやろう。そのひげを一本でも動かしてみろ、ルングリ、赤い華をのどに押しつけるぞ!」モウグリが、シーラ・カーンの頭を枝で打ちすえると、虎は震え上がって哀れっぽく鳴いた。

 「ふん。黒焦げのジャングル猫め――さあ、行け! だが、次におれが議会岩にヒトとして来るときは、貴様の皮を頭にかぶっていると覚えておけ。他のことだが、アケーラは、望むまま、自由に生きるがいい。アケーラを殺してはならない。そんなことは、おれが許さない。そして、お前たちがここにもう座ることも許さない。おれが追い出した犬どもの代わりに、そんなに偉そうに、舌を垂れやがって。そら! 行っちまえ!」火は枝の先で激しく燃えて、モウグリは右に左にと円陣を叩き、狼たちは火の粉で毛皮を焼かれて、唸りながら走り去った。最後に残ったのは、アケーラ、バギーラ、そして十頭ほどのモウグリについた狼だけだった。すると、まるで今まで一度も感じたことがないほどの何かが、モウグリの内側で痛みはじめた。モウグリは、息をついて啜り泣き、涙が顔を流れ落ちた。

 「何だこれは? 何なんだ? おれはジャングルを離れたくない――これは何なんだ。おれは、死にかけているのかい? バギーラ」

 「いや、小さい兄弟。それは、ヒトが使う”涙”っていうもんさ。今、おれはお前が一人前のヒトだとわかった。そして、もう仔じゃないってことがな。ジャングルは、この先、お前には閉ざされる。流れるにまかせな、モウグリ。そりゃ、ただの涙ってやつさ」

 モウグリは座りこんで、心臓が破れるくらい泣いた。今まで一度も、泣いたことがなかったのだ。

 「今から、おれはヒト達のところへいく。けど、母さんにさよならをいわないと」モウグリは母狼と父狼の住む洞穴へ行って、母狼の毛皮の上で泣きつづけた。そのあいだ、四頭の仔狼たちは惨めに唸っていた。

 「おれのことを忘れないよな?」モウグリが言った。

 「跡がたどれるあいだは、決してな。ヒトになったら、丘のふもとまで来いよ。そして、話そう。おれたちは夜、畑に忍び込むから、そのときに遊ぼう」仔狼たちが言った。

 「戻ってこいよ! ああ、賢い小さな蛙っ子よ、すぐに戻ってこいよ、わたしたちはもう年だからな。母さんも、わしも」父狼が言った。

 「戻ってきなさい。ねえ、わたしの小さな裸の仔、お前のことを、どの仔よりも愛しているのだから」母狼が言った。

 「かならず戻ってくるよ」モウグリは答えた。「そして、おれが戻ってくるときは、シーラ・カーンの皮を議会岩に広げるときだ。おれのことを忘れないで! ジャングルのみんなに、おれを絶対忘れないでと言ってくれ!」

 モウグリが、謎のヒトと呼ばれるものたちに会いにいくために、丘の斜面を一人ぼっちで下っていったときには、もう朝日がさしはじめていた。

 

 

   セオニ狼群パックの狩り歌

 

夜明けの光が薄明を貫くとき、水鹿サンバーが恋い鳴く

   一度、二度、もう一度!

雌鹿が跳ねる、雌鹿が跳ねる

夕餉を摂る、林の池から跳ね上がる

ひとりで偵察中のわたしが見たのだ

   一度、二度、もう一度!

夜明けの光が薄明を貫くとき、水鹿サンバーが恋い鳴く

   一度、二度、もう一度!

狼は忍び去る、狼は忍び去る

待ち望む群れに知らせを伝えるため

かくして我らはその足跡を探し、見つけ、吼える

   一度、二度、もう一度!

夜明けの光が薄明を貫くとき狼群が高らかに叫ぶ

   一度、二度、もう一度!

ジャングルで跡を残すことのない足!

暗闇を見透かす双眼――暗闇!

吼えろ――追いつめて吼えろ! 聞け! おお、聞け!

   一度、二度、もう一度!


著作権に関する注

 本作品の原作者ラデャード・キプリング(1865-1937)の著作権は死後六十年経過した現在、法律上は失効している。本文書の著作権(翻訳)は山本ゆうじに属する。本文書は電子的には基本的に無償で配布されるものとする。そのさい注を含む内容に一切の変更を伴わないものとする。本文書の再配布は電子的媒体から印刷された物を含み、その形態を問わず翻訳者(山本ゆうじ)の明示的な許可を要する。また翻訳者は翻訳の正確性・妥当性に関して一切の法律的保証を行うものではない。この文書の使用は各利用者の責任において行われるものとする。

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