収支、いや修士論文

03/01/03 Updated

BulletMA Thesis (Final version)

"An Aesthetics of Everyday Life: Modernism and a Japanese popular aesthetic ideal, Iki"

日本語題名: 『日常生活の美学 −モダニズムと日本の美的理念「いき」−』

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キーワード

いき、粋、江戸っ子、浮世絵、日常性、九鬼周造、フランク・ロイド・ライト

日本語での要約

 18世紀後期の江戸に発生した美的理念「いき」は、九鬼周造の『「いき」の構造』(1930)によって初めて本格的に学問的に取り上げられたといえよう。だが、『「いき」の構造』は以下の批判を免れない。1.西洋の、特にハイデッガーの論理と方法論を用いながらも西洋が「いき」を理解することを懐疑するという矛盾、2.町人「江戸っ子」の役割を軽視し武士道を精神的基盤と捉える意図的な曲解、そして3.「いき」を美学全体の中で位置付ける上においての「日常性」の軽視である。第二の点に関して、例えばレスリー・ピンカスは九鬼の「いき」を正統化しようとする試みが、戦間期における国粋的な動機に基づくものであることを示唆した。「西洋」という語は、エドワード・サイードの言う、西洋における「オリエント」と同じく、日本においては他者として機能する。九鬼は知識人として行き過ぎた西洋化の危険と、近代化の必然性の矛盾に苦しんだ結果、「いき」を西洋的に捉えながらも、一種の愛国主義的傾向を示すことになった。九鬼の言うように「いき」が日本人のみにより先験的によってのみ把握できるならば、「いき」の構造を明らかにする必然性がなくなるという矛盾まで抱え込むことになる。逆に考えれば、九鬼の哲学的手法自体は特に誤ったものではなく、彼の『西洋には「いき」はありえない』という早まった愛国的結論のみが誤りであったともいえよう。『「いき」の構造』の極めて抽象化された概念は、西洋に対して十分説明可能である。

 実際「いき」であると判断できる文化現象は、西洋にも近代の文化においても数多く存在する。「最初の近代アメリカ建築」建築家フランク・ロイド・ライトのロビー邸は、日本の建築の要素を色濃く反映しているのはいまやよく知られている。代表的な「いき」な文化現象のひとつである浮世絵の初期のコレクターでもあったライトのこの作品にも、「いき」の要素の、形相的レベルにおける反映と、より抽象的なレベルにおいての反映を見出すことが可能である。また、九鬼自身の著作や詩作にも「いき」や「日本的なるもの」を西洋に適用する例が少なからず見られる。西洋の美学との比較の中で浮かび上がる「日常性」をキーワードとして、「いき」を西洋・近代にも通用する「日常生活の美学」として捉えなおすことができよう。



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